「ジャニーズ」が消える日

私が1番最初にジャニーズを知ったのは、小学生の頃に友達から借りた少クラをダビングしたビデオだった。ビデオの時点でなんとなく年齢がバレる(ような気がする)が、山Pやジュニア時代のKAT-TUNが全盛期の時代だった。「箱の中身はなんじゃろな」の企画でなぜか関ジャニ∞の横山くんが箱の中に入っていた画をなぜだか鮮明に覚えている。歌って踊れる上にバラエティもできるアイドルたちにハマるのに時間はかからなかった。それから毎週かかさず少クラを録画し、DVDにダビングして擦り切れるほど何度も見た。当時からやっていた「○◯をあばけ」と「あなたにお手紙書きましょう」のコーナーが大好きだった。

当時私はタヌキが道を横切るようなド田舎に住んでいたので、ライブやイベントに行くことはできなかった。初めて買ったライブDVDはKAT-TUNとNEWSがメインを張った2004年の「SUMMARY」のDVD。擦り切れるくらい何度も見た。「SUMMARY」の曲が大好きで、12人が一斉にフライングする演出がとても印象的だった。ライブに行けなくても、歌って踊る彼らの映像を見るだけで満たされた。

大学生になり、ライブやイベントにも自由に行けるようになった。初めて行ったライブは2011年に行われたキスマイのデビューライブ「Everybody Go」。目の前をスタトロに乗った玉森くんが通って、ただガン見することしかできなかったはずなのに当時の映像はぼやけている。ものすごく良い匂いがした記憶があるが、果たしてそれが玉森くんの香りだったのか前の席の綺麗なお姉さんの香水だったのかは定かではないが。

初めてもらったファンサは2016年のキスマイライブ「I SCREAM」。目の前の花道で踊っていたジュニアの子、当時はまだジャニーズJr.として先輩のバックについていたSnow Manの阿部くんだった。キスマイメンバーのうちわを持っていた私に向けて、まるで自分のファンに向けてファンサをするみたいに、満面の笑顔で手を振ってくれた。映像はすこしぼやけているけれど、あの笑顔にやられたのは間違いない。私がSnow Manを追いかけるきっかけになった出来事だった。

気づけばジャニヲタ歴ウン十年。
ジャニーズと共に生きてきたと言っても過言ではない。

「ジャニーズ」は今や日本の男性アイドル界では最強ブランド。

「僕ジャニーズなので!」

そう誇らしげに言うタレントたち。ジャニーズ事務所に所属しているタレントたちは皆「ジャニーズ」という超高級ブランドを誇りに思って今まで活動してきたことだろう。そしてまた、私たちオタクも「ジャニヲタ」というジャンルを確立し、「ジャニーズ」というブランドを背負い活動する彼らを応援してきた。

今思えば、結局私は「ジャニーズ」というブランド自体に惹かれていたのかもしれない。「ジャニーズ」というブランドを背負ってキラキラ輝くタレントたちが好きだったのかもしれない。

 

そんな懐古をしている2023年10月。
まもなく「ジャニーズ」が、消える。

 

正直まだ実感はない。これからは何ヲタを名乗ればよいのだろう、ただのすの担か????などと呑気なことを考える余裕はあるし。誰もが知る男性アイドル界の超有名ブランドが消える、それだけのこと。

ただ、1つの歴史が終わることは確かだ。エンターテインメント業界の転換期であり、男性アイドル界にとっての重要な歴史が今まさに、終わろうとしている。

 

エンタメ業界を揺るがした ”ジャニーズ事変” 。創業者による重罪、事務所の問題、メディアやエンタメ業界の忖度。これらはいずれ明るみに出ることになったのだとは思うのだけれど。誰かが意図したかたちなのか、誰も予想していなかった終わり方なのかはわからない。

「ジャニーズ」とつくものは全てなくなる、と東山新社長が提言している。今後「ジャニーズ」という単語自体が闇に葬られ、語ることすら許されない風潮になるのかもしれない。ただ、「ジャニーズ」という男性アイドル界のトップブランドがあったこと、そのブランドを背負って輝いていたタレントたちの姿を、私は一生忘れない。

ありがとうジャニーズ。
さようならジャニーズ。

 

ジャニヲタのひとりごと